日蓮聖人の弟子の一人・日興上人の法脈を引く日教上人が、日蓮聖人法難の地である伊東を巡拝した
 みぎり、当所に一宇を建立したのが始まりである。時に貞治元年( 1362 )である。
 『本化別頭仏祖統記』によれば、日蓮聖人伊東流寓の1年9ヶ月の間、船守氏の給仕と領主伊東氏の
 外護あって、ようやく近村の人々は聖人の教化を受け入れて帰信することになり、後に人々は聖人謫居
 の旧跡 ( 現佛現寺)に塔を建てて供養し五つの精舎を造ったという。
 大行寺・妙照寺・蓮昌寺・龍仙寺・廣宣寺の五ヶ寺で、共に山号は伊東山と号し輪番で護持にあたり、
 明治の代までその任を果たした。
 当山はもと、本門宗に属していたが、昭和16年に日蓮宗・顕本法華宗との三派合同により、日蓮宗に
 至り、恵日山廣宣寺と称している。